「担当」について考えてみたら全然まとまらなかった

 太閤さんのネタ振りにまたも乗っかってみます。下手な考え休むに似たりが大好きです。


 自分のリアルな好みに合致してれば担当になるかどうかってところですが、これは多分イエスではないです。
 というか、リアルではジャニーズ系のこぎれいな男の子に惚れるわけじゃないので、恋愛感情を介在した目で見たことがないのは担当に限ったことじゃないです。アイドルモードの薮様にはリアル恋ですけどそれはまた別の話だ(笑)。
 なので、リアルな男性としての興味はなくても、見てるだけならかわいい子の方がいいので、顔かたちとかスタイルとか性格とか立ち位置とか、好みの子よりどりみどり選び放題なジャニーズは観賞用として最高ですな!という感じでジャニーズが好きです。発想がおっさんですんません。


 そんなわけで「リアルに好み=担当」は成り立ちませんが、担当が決まる上で「(異性としてに限らず)その人が好みかどうか」が大きく関わってくるのは当然ですよね。私の場合はリアルな男性として見るんじゃなく単純にキャッキャする対象だからこそ、顔とかスタイルとかパフォーマンスとかが好みじゃないと担当にはなり得ません。


 私の現在の状況は、顔やスタイルだとかパフォーマンスだとか諸々の点で心のブックマークに登録してる人はデビュー組、Jr.問わず大勢います。DDですから。でも担当誰と聞かれたら翔央ですと答えます。入れ込みようの差で。
 さて問題は数多いるお気に入りの中から何を以って今翔央を「担当」としたのかっつーことですが、月並みだけどまず外見ですよ。単純に顔が好み。上記の通り大前提が「アイドルは観賞用」なので、外見が好みかどうかのプライオリティは高いです。
 それにプラスして、中身というか振る舞いがすごくツボったのが運の尽きだった。翔央にしろ今までの「担当」としても差し支えないだろうというくらい好きになった子にしろ、あんまり押し出しの強い子じゃなくてぼやーっとしたの、或いはそういう風に思い込める子がどうにも好きらしいです。きっと自分の「こういう子だったらいいのに」という願望が投影しやすいからじゃないかという気が……。
 あとのこっち側の要因としては自己暗示があるんですが、それは自分の脳が騙されやすいだけだし担当化に限ったことじゃないからな。おかげさまで「好きかも」から「超好き」に至るまでのスピードがいつも割と異常です。


 というわけで、自分の場合は思いっきり簡略化すると見た目好み+中身好みだったから担当認定したという結論に。なんて身も蓋もない。まあ「中身」にも色んな要素がありはするのですが。
 人によっては歌だったりダンスだったり喋りだったり、その人が重視するポイント=担当になり得る要素が色々あって、それのどれが自分にとって重要かそうでないかというところで「担当」観って決まってくるのかなーと思いました。
 そら同じ○○担つっても見方が全然違うなんてことも起きるわけですわな、すごく私的なところだから。


 あれ、これって結局リアル男子で好きなタイプを述べるのと同じでは……仕組みは一緒だけど観点が違うということか……?担当になる=恋ではないなら、担当が決まる要素と恋をする要素は違うとか(当然同じものもあるっていう場合もあると思うけど)。アイドルならではの何かを重視とか、リアルじゃないならひたすら顔重視とかキャラ重視とか、そういうこと??


 やあ、すっかりぐだぐだになりました。
 担当論についてはこちらのテンプレが素晴らしいのでぜひご覧いただきたいです。すっごいわかりやすいです。目から鱗が大量に落ちた挙句エントリ内容がうっすらパクりになりましたあっはっは。インスパイアということにしといてください…。


 話逸れますが、「担当」って、「私の担当は○○くんです」とも、「私は○○担当です」とも使いますよね。
 前者の場合「担当」が指すのは「○○くん」で、後者の「担当」が指すのは「私」。同じ言葉が場合によってあっちを指したりこっちを指したりするのが面白いなーと思う。自担っていう言葉は前者の使い方か。ふむ。
 そこそこ長いことジャニヲタやってますが、高校大学の頃は「担当」という言葉がなんだか嫌いで使わないようにしてて、今は便利だから使うけどどうもあんまり馴染まないのは、多分前者の使い方なんだよなー。なんだか「私」と「○○くん」の間に「担当」という関係がある、という風に感じるのが苦手なのかもしれん。私個人は自分と対象の間に「私とあなた」の関係を設定してない、したくないから。空気でいたい。(でもうちわは振る)