白夜の女騎士

 初めての野田芝居。いやあおっもしろかった!「野田脚本は理解できない」通説(というか偏見)だけを知っている状態だったので最初っから理解しようと思ってかからなかったのがよかったのかもしれないですねえ。
 天才の頭の中を覗き見した気がしました。「全然わかんない」ことが心地良かったりも。あと、人間、言葉に出来ない感情の動きは涙になって出てくんだなと思った。わかりやすく、感動した!とかそういうんじゃないんだけどなんか涙出てくんだ。


 舞台の内容には触れたくても触れられません(理解してないからね!笑)ので、以下は電波な雑文です。
 場面は時間も空間も現実も虚構も軽々と飛び越え、台詞は韻を踏んだり同音異義語で混ぜっ返すような言葉遊びの応酬で、でも舞台装置や言葉遊びなどの瑣末な部分に気を取られているとあっという間に大筋の展開に置いていかれるので、観ている方も集中力を途切れさせられない。前の日あんまり寝てなかったので、理解できなすぎて寝ないだろうかとちょっと心配だったんですが全く杞憂でしたわー。


 前述の通り、内容は全然理解できてないのでポエマーの血が滾るままに書きますが*1、なんていうかな、人間は空を飛べないけど、「少年」ていう生き物は空を飛べるのかもしれないと思います。劇中に「少年は非行から飛行への中継点だ」っていう台詞があるんだけど、ある種の少年は、本当は本当に飛べるんじゃないか。コツを忘れてしまっただけで。そんなことをずーっと考えてました。ワイヤーなんかなしで飛べそうなんだ、サスケの目が。目、といえば、神が与えたしなるガラス=水晶体っていうような台詞があったな。棒高跳びの棒=グラスファイバー(しなるガラス)=水晶体、だったら、飛ぶことと目には関係がある…のかどうかは知らないけど、サスケの目はきれいできれいでどきどきしました。人の顔見てて涙出てきたのは初めて、とは言わないけどそうそうあることでもないよ。
 「空飛びサスケ」は無垢で純粋で佇まいが透明で、「少年」のイメージそのもの、を供された感が、勝手に。なんかちょっと血が通ってなさそうなんだよね、お人形さんぽいというか。松潤のルックスに説得力がありすぎた。なんだあの美しいの。多分、難しい舞台でもんのすごく必死だったろうけど、その必死さが飛ぶことを渇望するサスケとリンクして、あの雰囲気を醸し出してたのかも、とか思いましたなんとなく。


 あと言うまでもなく、杏ちゃんと勝村さんはすげー!
 あー、お芝居たくさん観たい。素地がほしい。素ー地ーがーーー。*2


 余談。開演前からキャストがうろうろしているよというのはどこかで見かけていたんですが、予想以上に大胆にうろうろしててびっくりしました。ロビーを普通にキャストが歩いてるのね。そして普通に客席のお客さんに話しかけたりしてるのね。蜷川さんはずーっと脚立押さえてるしね。劇場自体が既に作中に取り込まれているような一種異様な感じを受けました。でも蜷川演出だとお馴染みなのか?これ。落ち着かない(笑)けど、こういうの好きだな。


 しかしこのエントリ後から読み返したらきっと死ぬほど恥ずかしいな……夜中に書いた手紙と一緒だ(笑)。まあいいや。

*1:きりかさんはきっと死ぬまで思春期

*2:きりかさんはきっと死ぬまで教養コンプレックス