燕のいる駅23日マチネ

 秋(むしろ長い夏)の大仕事が終わりましたの自分ファイナル。
 なんと斜め後ろに大野さんがいらっしゃって時々笑い声が聞こえてくるのが落ち着かなくてしょうがなかったですよーあーびっくりした。芝居始まったらそれどころじゃないんで正味5秒くらいしか見てないけど(笑)*1
 雅紀さん、盛大に台詞噛んだんだか飛ばしたんだかやらかしてました。シリアスなシーンでなくてよかったね…(笑)。


 問題の(笑)シーン。
 ♪そーらは広い、広いはうんどーじょー、…(フリーズ、巻き戻し)
 はいやっちゃったー(笑)。台詞というか次の動作が飛んだ?という感じでした。場内大喜び☆だけど勢いでやり直せるシーンでよかったよ本当。


 もういいだろうよと自分でもと思いつつしつこく引っ張ります。
 燕を観ての背中が薄ら寒くなるような感覚は、世の中で何が起こっているかを知ろうとしない、というか自分の身に降りかかってこない限り何かが起こっているという認識もない自分を高島くんを鏡にして(これは友人の言葉)見てしまうせいなんだな。
 自分の無力さを強制的に目の当たりにさせられるのが愉快なわけないですわな。高島くん(イコール無知な自分)を通してというのと、2回目からは先がわかっているのに舞台上の出来事には干渉できないというのがプラスされていたような気がします。何様だよって感じですがそう思ったもんは仕方ない(笑)。
 ラストを救いようのない方に解釈するとものすごい落ちるのですが、カーテンコールの雅紀さんの雅紀さんっぷり(笑)に救われてなんとかややローテンションくらいまで持ち直して会場を出られてたんだなぁというのがしみじみ感じられます……。あれがなかったらどこまで落ちっぱなしかわからないわ〜


 今回は前2回と違う友達と一緒に観てきまして、観劇後の「青の炎観た後の感じに似てる」という言葉に思わず膝を打ってしまいました。そーれーだーー!一言で言っちまえば「遣る瀬無い」または「やりきれない」んだ、この胃にズッシーと来る感じは!
 青の炎も観終わった後でものすごく釈然としない感に襲われてどうしようかと思ったもんですが、言われてみれば本当そっくりだーこのやりきれなさ。どうして気づかなかったんだろう orz
 他にももやもや頭の中にあって言語化できなかったことをすぱーと言い表されて目から鱗落ちまくり。これがあるから頭いい人って大好き。対比して曇ってんな〜わたしの目…と思ってちょっとがっくりもきましたけども。
 自分がごっちゃごっちゃいろんなこと言い過ぎて結局何言いたいのか伝わらないタイプとの自覚はあるので、理論的にでも直感ででも少ない言葉で本質的なことを言える人に対する憧れまたはコンプレックスたるや相当なものであります。はー、頭良くなりてぇ(天賦の才だから無理かと)。
 なにはともあれ色々と思い入れのある舞台になりました、燕。

*1:紺のTシャツ、色落ち系ジーンズ、キャップ後ろかぶり。お顔がむくんでおりました……笑