徒然

 今日もチラ裏ながながと。

好きとか嫌いとか

 先日どこかのブログさん(非ジャニ系)でこんなような記述を見かけ、目から鱗

自分が苦手だったり嫌いだったりするものを好きな人もいるのだから、誰が見てるかわからないブログ上で嫌いなものを嫌いというのは極力避けるべきだ、というけど、逆に、自分が大嫌いなものが絶賛されているのを見て嫌な気分になったり傷ついたりすることもある。

 確かにそれは充分あり得る。


 あれ好きもこれ嫌いも書けないんじゃブログなんか書けねーよってことじゃなくて、好き好き大好き☆なことだけ書いてるからわたしは誰も傷つけてないなんて思い込まないようにしないとなぁと思いました。なんていうのかな、貶してないから自分は正義だ、何も非難されるいわれはない、ってなったらいかんなと。
 結局は、好きなことにせよ嫌いなことにせよ、書いたことについてそれなりの責任を負う覚悟は必要だっていうことですね。
 同じことは読み手にも言えると思う。嫌な思いしたくなければ他人の書いたもんなんか読まなきゃいいんだもの究極的には。誰でも見られるインターネットだから、何を発信するのも受信するのも全てにおいて自己責任が当たり前だと思うんだけど。だから情報リテラシーが必要なわけだ。

かくしてDD。

 ふと気付いたんですが、わたしの場合、

  1. あの子気になる
  2. あの子が所属しているグループ気になる
  3. グループのメンバー覚える

 という段階を踏まないと3人以上の集合体は漠然と「なんか人がいっぱいいる、可愛い子もいるようだが顔と名前が一致しない」になってしまうようです。いまいち無所が覚えられないのは集団が大きすぎて取っ掛かりが掴めないからかもしれない。
 取っ掛かりになる子がいないと集団に興味を持つことができない、イコール好きな集団には大体1人特別好きな子がいるということに。んで、多分その集団を認識する取っ掛かりになる子ってのが「担当」候補になり得る子なんだろうなー。この場合担当は「今一番推してるのはこの人です」くらいなので、意味合いとしては相当軽いです。故にころころ名乗る担当変わります、このブログ遡って見るのが一番わかりやすい(笑)。


 ジャニ内外の全てにおいて担当の子やグループが最優先な時もあるけど(コンサート時期とか)、そうじゃない時もたくさんありますよ。それで別にいいと思う。どういうスタンスでなにを好きでいようとその人の勝手であって、それが自分とは合わないと思ったら近づかなければよい話。
 そんな当たり前のことばっかり繰り返し考えてます。

 
 ちなみにどれだけ人に勧められようと初見でピンとこないものにはまずはまらない方ですが、エビさんはじわじわと普通に好きから大好きへと進化を遂げた珍しい例です、身近な所からの洗脳って怖いですね。恐らく同じことを人に対してやっていると言われると思いますが。
 つまりは必死なヲタ同士の熾烈な足の引っ張り合い。類は友を呼ぶね(しみじみ)。

担降り?

 そんなわけで当然のように「担降り」についての葛藤もあまりありません。
 つか、そもそも担「降り」ってなんだろう。担当が下の年代のグループや子に移ることだけを指す言葉なのかな?今わたしが華麗に滝様に全て捧げますになったら何ていうんだ?あと、単純に担当やめたーっていうのも降りるって言う?<バンギャでいうとこの「あがる」ですか。


 定義がよくわからないのでとりあえず「担当が変わる」ことを指して使いますが。
 最初からあっちもこっちも掛け持ちしまくりで一番楽しいところに注力してて節操もへったくれもないもんだから、別に元担(便宜上)嫌いになったわけでもないのに何故悩んだり謝ったりする必要が、そもそも好きになるのも嫌いになるのも自分の勝手では?と思ってしまうんですよねどうしても。
 葛藤するとしたら担当が変わることじゃなく、「お前この後に及んで高校生とかないだろう!」という己の好みの成長のなさに対してだなー。もうこれも開き直ったし。よく考えなくても元がショタだし。もりもったんかわいいし。今は身内から知念ちゃんを推されています。


 あ、自分が葛藤しないからといって、担降りに際していろいろと考えて悩む人をバカにするつもりは毛頭ないですよ。むしろそこまで真剣に好きなことを誇っていいと思うし、そういう人を尊敬します。でも、担降りで人間関係を崩壊させる元担の友人とかは断然タチ悪いと思うよ…。ジャニ中心の生活に出戻ってくる際、一系統の友人関係を壊滅させるいじめにあった立場からすると他人事とは思えません。自分のやり方がまずかったのは反省するけど人格攻撃までされるほどのことしてないよ絶対(笑)。